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三国志の武将紹介最強ブログ
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2008/04/14 [21:44:39] (Mon)
姓:管
名:寧
字:幼安
生没年(157-241)
出身地:青州北海郡朱虚県
親:
子:管[L貌]

春秋時代の斉の宰相、管仲の子孫であるという。身長八尺、ひげの眉の美しい美丈夫であった。 華[音欠][丙β]原と共に学問を行い親交を深めた。戦乱が深まると遼東郡の公孫度 の政治が優れているという噂を聞きつけて、[丙β]原、王烈らと遼東に赴いた。公孫度と面会すると管寧は儒教の経典の話のみをし、世俗の話題には触れなかった。その後郡内定住し住民に『詩経』『尚書』などを講釈した。避難民たちは管寧の住居の周辺に集まり、10ヶ月ほどで町が形成されていた。 [丙β]原は高潔な意見を遠慮なく言ったため公孫度以下は[丙β]原に対して内心穏やかではなかった。そこで管寧は[丙β]原を諌めてこっそりと西方に彼を帰した。

父の後を継いだ公孫康は表面上は太守・将軍の称号を唱えていたが、内心は王になろうと思っていた。そのためへりくだった態度を示して管寧を仕官させようと思ったが管寧は応じなかった。 曹操が司空となると管寧を招聘しようとしたが、公孫康はこの命令を拒んで伝えなかった。

戦乱が収まると避難民たちは故郷へ戻っていったが、管寧は落ち着き払って遼東で一生を送る様子であった。 223年、華[音欠]は管寧を推薦し曹丕は彼を招聘した。そこで管寧は家族を引き連れて海路で故郷の北海郡の帰ろうとした。遼東太守の公孫恭は郡の南端まで管寧を送り、贈り物をするなどの礼を尽くした。管寧は公孫度、公孫康、公孫恭にもらった贈り物を全て封印して保管していたが、それらを全て返却した。詔勅により太中大夫に任命されたが固持して受けなかった。 曹叡が即位すると華[音欠]は自分の官位を辞退して管寧に譲ろうとしたが、曹叡はこれを許さなかった。こうして20年近く招聘と辞退が繰り返されたが、管寧は最後まで仕官せず84歳で亡くなった。 (魏書・管寧伝)

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